2005年 06月 15日
朝日社説「南北の5年 核の暗雲をどう払うか」について |
また更新が遅れてしまった。久しぶりに朝日の社説を取り上げる。多分、今日の社説は、各所で取り上げられている事だろう。遅れて拙ブログで取り上げる必要など無かろうとは思うが、最近更新できていないので…。さすがの朝日も、ここまでインパクトのある社説は、久しぶりなのでは無かろうか?
朝日社説「南北の5年 核の暗雲をどう払うか」
韓国の金大中大統領が平壌を訪れ、金正日総書記と抱き合った。世界を驚かせた初の南北首脳会談から5年である。鄭東泳統一相らの韓国政府代表団がきのう平壌に入り、祝賀の催しや北朝鮮指導部との会談に臨む。
ただソウルの街に、国中が沸き返った5年前の高揚はない。街頭に記念の幕やポスターがあるわけでなく、金総書記をあしらったTシャツが人気を呼んだことなどはるか昔のことのようだ。
首脳会談で合意された南北共同宣言は、自主的な統一に向けて民族が団結していく熱い思いをうたいあげた。
譲りすぎと見える協力や交流であっても、それを積み重ねることで北朝鮮の内部変革をやんわりと促していく。韓国にはそんな「太陽政策」の狙いがあった。経済困窮が深刻な北朝鮮が、南から差し伸べられた手を握った。
その後の南北間の進展は確かにめざましいものがあった。
南北が鉄道や道路をつなぐなんて、一昔前には想像もできないことだった。経済協力や政府間の対話などで往来する人たちは、4年前の9千人から昨年は2万7千人に増え、貿易も膨らむ。
離散家族の再会はすでに10回を数え、北朝鮮の名勝・金剛山を韓国から訪れる観光客は100万人を突破した。開城にある工場団地には韓国企業が出ていって第三国への輸出も始まった。
こうした蓄積は、悲惨な戦争を繰り返さないための仕掛けでもある。曲折はあろうが、大切にしてもらいたい。
しかし、目算はずれも少なくない。「適切な時期に」と明記した金総書記のソウル訪問はいまだに実現していない。首脳会談の直前に南から北へ5億ドルが不正に送金され、「カネで買った会談」と批判もされた。目立った変革は見えないのに、交流すればするほど北にカネが流れる仕組みは健在だ。
5年前の高揚がしぼんだ最大の要因は、北朝鮮による核開発だ。あのころは核の凍結・廃棄と引き換えに日米韓などが軽水炉を提供する枠組み合意が生きていた。北朝鮮が核保有を明言し、国際社会を脅す今日の事態はとても想像できなかった。
核問題は民族間の努力だけでは解決できない。日米や中国、ロシアなどを巻き込まないと朝鮮半島問題の展望は開けないことがはっきりしてしまった。
韓国はこの変化にどう向き合うのか。「民族」「自主」への思いはそれとして、目指す方向を練り直し、より具体的に示す必要があるのではないか。
その意味で先週、ワシントンを訪れた盧武鉉大統領がブッシュ大統領との会談で、きしんでいた米韓同盟の重要性を再確認したことを評価したい。
韓国は北朝鮮に甘すぎると日米は見ているが、韓国には事を構えるわけにはいかない地政学的な理由がある。朝鮮半島問題の戦略を改めて説明し、日米韓の連携を強めていくことが欠かせない。
どうしてここまで、韓国政府の事を愛情たっぷりに理解できるのだろう?
譲りすぎと見える協力や交流であっても、それを積み重ねることで北朝鮮の内部変革をやんわりと促していく。韓国にはそんな「太陽政策」の狙いがあった。
韓国の太陽政策を、どうしたら「朝鮮の内部変革をやんわりと促していく」などという好意的な理解になるのだろう。
その後の南北間の進展は確かにめざましいものがあった。
南北が鉄道や道路をつなぐなんて、一昔前には想像もできないことだった。経済協力や政府間の対話などで往来する人たちは、4年前の9千人から昨年は2万7千人に増え、貿易も膨らむ。
離散家族の再会はすでに10回を数え、北朝鮮の名勝・金剛山を韓国から訪れる観光客は100万人を突破した。開城にある工場団地には韓国企業が出ていって第三国への輸出も始まった
確かにこうした交流によって、北朝鮮政府は経済的に助かったのかもしれない。しかし北朝鮮政府が国民の多くを飢えさせている現状はかわらない。朝日新聞の言う「こうした蓄積は、悲惨な戦争を繰り返さないための仕掛けでもある。曲折はあろうが、大切にしてもらいたい。」という言葉は、多くの飢餓に苦しむ北朝鮮国民にとっては、まさに「悪魔の言葉」であろう。同時に、横田めぐみさんほか、拉致被害者にとってもこれは同じだろう。この場合、韓国人にも多くの拉致被害者がいることも忘れてはなるまい。「悲惨な戦争を繰り返さない」などといった言葉は、この場合、上っ面な綺麗事にしか聞こえない。
そもそも「北朝鮮が核保有を明言し、国際社会を脅す今日の事態はとても想像できなかった。」はずが、何故変わってしまったのか?北朝鮮の核開発こそ韓国の経済的支援によるもの、という考えにはならないのだろうか?はっきりいって金大中政権の北朝鮮政策も誤りであったことは明らかであるし、さらに盧武鉉政権は、その方向性さえ見失い、北朝鮮政策を打ち出せないことは明らかだろう。
核問題は民族間の努力だけでは解決できない。日米や中国、ロシアなどを巻き込まないと朝鮮半島問題の展望は開けないことがはっきりしてしまった。
これに対して盧武鉉政権は日米からの信頼を失いつつあり、韓国に独自のカードが何もない中で、北朝鮮からみても韓国が六ヶ国協議の場において独自性を発揮してくれるとはとても思えないだろう。そもそも日米中露という大国の中で、「バランサー」たろう等という考えは、この四ヶ国に十分対抗できるだけのカードを手の内に持っていなければ、ほとんど不可能である。少なくとも盧武鉉政権は、自ら何ら打開策は打ち出せまい。北朝鮮も韓国とあえて交渉する意義を見いだし得まい。今回の鄭東泳統一相の訪問が冷ややかなのは、それ故であろう。
韓国は北朝鮮に甘すぎると日米は見ているが、韓国には事を構えるわけにはいかない地政学的な理由がある。朝鮮半島問題の戦略を改めて説明し、日米韓の連携を強めていくことが欠かせない。
この文章がよく解らない。「朝鮮半島問題の戦略を改めて説明し」とあるが、誰が誰に説明すべきだというのだろう。朝日新聞は怪しくなるといつも最後に主語を誤魔化す。そもそもアメリカはともかく、日本もまた「事を構えるわけにはいかない」ことには変わりあるまい。それゆえ日本政府が拉致問題に対しても、苦慮している所以であろう。
「こうした蓄積は、悲惨な戦争を繰り返さないための仕掛けでもある。曲折はあろうが、大切にしてもらいたい。」
戦争は悪である~この考え方は、日本においては、長い間、否定しがたい言葉であった。しかしもうそろそろ「戦争」というものを、もっとリアルに見つめ直さなければならないのではないだろうか?「戦争は悪である」などとといっていても、憎むべき戦争は無くならないし、その現実は見えてこない。
今を去る11年前、南アフリカ共和国では、人種隔離政策=アパルトヘイトは廃止された。1948年始まった人種隔離政策は、490万人の白人が、約2500万人の黒人、90万人のインド系住民などを徹底的に差別、隔離した。これに対する抵抗はもちろんあった。アフリカ民族会議(ANC)やパン・アフリカニスト会議 (PAC) といった抵抗組織は非合法化された。そして1993年4月に26政党・組織が参加した多党交渉フォーラムで、選挙までの政体として全政党・組織が参加した暫定政府を同年12月に発足させることに決まり、同時に暫定憲法も制定した。こうして1994年4月に全人種が参加する選挙が行われ、5月にネルソン・マンデラが大統領となり新政権が樹立された。
この過程で、「自由の戦士」と呼ばれる人々の戦いは、まさに「内戦」であり、「戦争」であった。最初は「テロ」であったかも知れない。しかしこの「戦争」は「悪」といえるのだろうか?結局、反戦運動とは、単に現状維持・現秩序維持なのかもしれない。そうだとすれば先進国で反戦運動が盛んになるのは当然であろう。さらに「内戦」さえさせないような「悪魔の政権」というものがあった場合、その国民にとって戦争は福音となるかも知れない。「戦争は悪である」と言いつのる方には、是非、この辺のことを聞いてみたいところである。
朝日社説「南北の5年 核の暗雲をどう払うか」
韓国の金大中大統領が平壌を訪れ、金正日総書記と抱き合った。世界を驚かせた初の南北首脳会談から5年である。鄭東泳統一相らの韓国政府代表団がきのう平壌に入り、祝賀の催しや北朝鮮指導部との会談に臨む。
ただソウルの街に、国中が沸き返った5年前の高揚はない。街頭に記念の幕やポスターがあるわけでなく、金総書記をあしらったTシャツが人気を呼んだことなどはるか昔のことのようだ。
首脳会談で合意された南北共同宣言は、自主的な統一に向けて民族が団結していく熱い思いをうたいあげた。
譲りすぎと見える協力や交流であっても、それを積み重ねることで北朝鮮の内部変革をやんわりと促していく。韓国にはそんな「太陽政策」の狙いがあった。経済困窮が深刻な北朝鮮が、南から差し伸べられた手を握った。
その後の南北間の進展は確かにめざましいものがあった。
南北が鉄道や道路をつなぐなんて、一昔前には想像もできないことだった。経済協力や政府間の対話などで往来する人たちは、4年前の9千人から昨年は2万7千人に増え、貿易も膨らむ。
離散家族の再会はすでに10回を数え、北朝鮮の名勝・金剛山を韓国から訪れる観光客は100万人を突破した。開城にある工場団地には韓国企業が出ていって第三国への輸出も始まった。
こうした蓄積は、悲惨な戦争を繰り返さないための仕掛けでもある。曲折はあろうが、大切にしてもらいたい。
しかし、目算はずれも少なくない。「適切な時期に」と明記した金総書記のソウル訪問はいまだに実現していない。首脳会談の直前に南から北へ5億ドルが不正に送金され、「カネで買った会談」と批判もされた。目立った変革は見えないのに、交流すればするほど北にカネが流れる仕組みは健在だ。
5年前の高揚がしぼんだ最大の要因は、北朝鮮による核開発だ。あのころは核の凍結・廃棄と引き換えに日米韓などが軽水炉を提供する枠組み合意が生きていた。北朝鮮が核保有を明言し、国際社会を脅す今日の事態はとても想像できなかった。
核問題は民族間の努力だけでは解決できない。日米や中国、ロシアなどを巻き込まないと朝鮮半島問題の展望は開けないことがはっきりしてしまった。
韓国はこの変化にどう向き合うのか。「民族」「自主」への思いはそれとして、目指す方向を練り直し、より具体的に示す必要があるのではないか。
その意味で先週、ワシントンを訪れた盧武鉉大統領がブッシュ大統領との会談で、きしんでいた米韓同盟の重要性を再確認したことを評価したい。
韓国は北朝鮮に甘すぎると日米は見ているが、韓国には事を構えるわけにはいかない地政学的な理由がある。朝鮮半島問題の戦略を改めて説明し、日米韓の連携を強めていくことが欠かせない。
どうしてここまで、韓国政府の事を愛情たっぷりに理解できるのだろう?
譲りすぎと見える協力や交流であっても、それを積み重ねることで北朝鮮の内部変革をやんわりと促していく。韓国にはそんな「太陽政策」の狙いがあった。
韓国の太陽政策を、どうしたら「朝鮮の内部変革をやんわりと促していく」などという好意的な理解になるのだろう。
その後の南北間の進展は確かにめざましいものがあった。
南北が鉄道や道路をつなぐなんて、一昔前には想像もできないことだった。経済協力や政府間の対話などで往来する人たちは、4年前の9千人から昨年は2万7千人に増え、貿易も膨らむ。
離散家族の再会はすでに10回を数え、北朝鮮の名勝・金剛山を韓国から訪れる観光客は100万人を突破した。開城にある工場団地には韓国企業が出ていって第三国への輸出も始まった
確かにこうした交流によって、北朝鮮政府は経済的に助かったのかもしれない。しかし北朝鮮政府が国民の多くを飢えさせている現状はかわらない。朝日新聞の言う「こうした蓄積は、悲惨な戦争を繰り返さないための仕掛けでもある。曲折はあろうが、大切にしてもらいたい。」という言葉は、多くの飢餓に苦しむ北朝鮮国民にとっては、まさに「悪魔の言葉」であろう。同時に、横田めぐみさんほか、拉致被害者にとってもこれは同じだろう。この場合、韓国人にも多くの拉致被害者がいることも忘れてはなるまい。「悲惨な戦争を繰り返さない」などといった言葉は、この場合、上っ面な綺麗事にしか聞こえない。
そもそも「北朝鮮が核保有を明言し、国際社会を脅す今日の事態はとても想像できなかった。」はずが、何故変わってしまったのか?北朝鮮の核開発こそ韓国の経済的支援によるもの、という考えにはならないのだろうか?はっきりいって金大中政権の北朝鮮政策も誤りであったことは明らかであるし、さらに盧武鉉政権は、その方向性さえ見失い、北朝鮮政策を打ち出せないことは明らかだろう。
核問題は民族間の努力だけでは解決できない。日米や中国、ロシアなどを巻き込まないと朝鮮半島問題の展望は開けないことがはっきりしてしまった。
これに対して盧武鉉政権は日米からの信頼を失いつつあり、韓国に独自のカードが何もない中で、北朝鮮からみても韓国が六ヶ国協議の場において独自性を発揮してくれるとはとても思えないだろう。そもそも日米中露という大国の中で、「バランサー」たろう等という考えは、この四ヶ国に十分対抗できるだけのカードを手の内に持っていなければ、ほとんど不可能である。少なくとも盧武鉉政権は、自ら何ら打開策は打ち出せまい。北朝鮮も韓国とあえて交渉する意義を見いだし得まい。今回の鄭東泳統一相の訪問が冷ややかなのは、それ故であろう。
韓国は北朝鮮に甘すぎると日米は見ているが、韓国には事を構えるわけにはいかない地政学的な理由がある。朝鮮半島問題の戦略を改めて説明し、日米韓の連携を強めていくことが欠かせない。
この文章がよく解らない。「朝鮮半島問題の戦略を改めて説明し」とあるが、誰が誰に説明すべきだというのだろう。朝日新聞は怪しくなるといつも最後に主語を誤魔化す。そもそもアメリカはともかく、日本もまた「事を構えるわけにはいかない」ことには変わりあるまい。それゆえ日本政府が拉致問題に対しても、苦慮している所以であろう。
「こうした蓄積は、悲惨な戦争を繰り返さないための仕掛けでもある。曲折はあろうが、大切にしてもらいたい。」
戦争は悪である~この考え方は、日本においては、長い間、否定しがたい言葉であった。しかしもうそろそろ「戦争」というものを、もっとリアルに見つめ直さなければならないのではないだろうか?「戦争は悪である」などとといっていても、憎むべき戦争は無くならないし、その現実は見えてこない。
今を去る11年前、南アフリカ共和国では、人種隔離政策=アパルトヘイトは廃止された。1948年始まった人種隔離政策は、490万人の白人が、約2500万人の黒人、90万人のインド系住民などを徹底的に差別、隔離した。これに対する抵抗はもちろんあった。アフリカ民族会議(ANC)やパン・アフリカニスト会議 (PAC) といった抵抗組織は非合法化された。そして1993年4月に26政党・組織が参加した多党交渉フォーラムで、選挙までの政体として全政党・組織が参加した暫定政府を同年12月に発足させることに決まり、同時に暫定憲法も制定した。こうして1994年4月に全人種が参加する選挙が行われ、5月にネルソン・マンデラが大統領となり新政権が樹立された。
この過程で、「自由の戦士」と呼ばれる人々の戦いは、まさに「内戦」であり、「戦争」であった。最初は「テロ」であったかも知れない。しかしこの「戦争」は「悪」といえるのだろうか?結局、反戦運動とは、単に現状維持・現秩序維持なのかもしれない。そうだとすれば先進国で反戦運動が盛んになるのは当然であろう。さらに「内戦」さえさせないような「悪魔の政権」というものがあった場合、その国民にとって戦争は福音となるかも知れない。「戦争は悪である」と言いつのる方には、是非、この辺のことを聞いてみたいところである。
by mt.planter
| 2005-06-15 17:54