2005年 05月 24日
「談合」をめぐる構造問題への対応策 |
今日のニュースは、中国副首相の小泉会談ドタキャン問題と、談合問題である。前者について、特に靖国参拝問題については、すでに筆者の立場を表明しているので、ここではこの問題には触れず、談合問題について考えてみたい。これに関しては、なんと全紙が社説で取り上げている。ここでは日経社説を紹介しておく。
読売社説「橋梁談合事件 『官』とのなれ合いはなかったか」
朝日社説「橋梁談合 ペナルティーが軽すぎる」
毎日社説「鋼鉄製橋梁談合 改正独禁法を再改正しよう」
産経社説「橋梁談合事件 過去の“遺物”徹底解明を」
日経社説「橋梁談合は発注者にも説明責任がある」
年間発注高は3500億円に上り、ほとんどが国・自治体・公団の工事だ。鋼鉄製橋梁(きょうりょう)建設を巡る入札談合は公正取引委員会が過去に刑事告発した価格カルテルや談合と比べて最も大規模、深刻な事件と言える。
日本を代表する大企業が公のカネから違法に利益を上げた疑いを持たれているのだ。告発された企業は通り一遍の談話で済ますのでなく、自ら何をしたのかを説明し再発防止に実効ある対策を講じる必要がある。コンプライアンス(法令順守)の次元を超え、納税者たる国民に被害を与える犯罪の容疑がかけられたことを自覚しなければならない。
公取委が刑事告発したのは、2003、04年度に国土交通省の3つの地方局が発注した工事の入札で談合を取り仕切ったとされる業界組織の幹事社計8社だ。実際の談合は、しかし、40年以上にわたり、国以外に東京都や日本道路公団が発注した工事でも行われていた疑いが強い。公取委と検察当局には徹底した調べを望みたい。
談合組織と公取委が判断した業界の集まりは2つあり計47社が加わる。大手中心の会の前身は戦後間もなく生まれ、中小・後発組の会も40年前にできている。十数年前にその存在が明るみに出て解散した後、再発足している。この業界では、長年おおっぴらに談合が繰り返されてきたと考えられる。
談合組織に入っていない業者が入札に参加すると落札率(発注予定価格と落札額の比率)が途端に低くなるため“部外業者”を排除する工作もしていたとされる。道路公団発注の工事では、年間の平均落札率が、談合の存在をうかがわせる「ほぼ100%」になっていたことがある。そんなことが続いていて、一体、発注側の行政官庁や公団は談合に気づかなかったのだろうか。
昨年秋、新潟市発注の下水道工事にからみ検察は市の職員を入札妨害罪で起訴した。いわゆる官製談合の摘発である。この事件では「官と業」の根深い癒着体質の一端が白日の下に出された。橋梁工事は発注主のほとんどが「官」である事実を踏まえ、検察は発注側に関与はなかったのか、厳しく捜査してもらいたい。
国や自治体、公団は、公取委や検察の調べを待つまでもなく、自らの手で工事入札と発注の経緯を洗い直すべきだ。談合に関与はなかったのか、なかったとしても長年にわたり談合を見逃してきた責任をどう考えるのか、国民に向かって十分な説明をする義務がある。
この「談合」をめぐる問題は、国の発注だけでなく地方自治体、公団などのものを含めて、これまでも度々枚挙に暇がない。そして上記、日経社説では、
日本を代表する大企業が公のカネから違法に利益を上げた疑いを持たれているのだ。告発された企業は通り一遍の談話で済ますのでなく、自ら何をしたのかを説明し再発防止に実効ある対策を講じる必要がある。コンプライアンス(法令順守)の次元を超え、納税者たる国民に被害を与える犯罪の容疑がかけられたことを自覚しなければならない。
と激しく糾弾している。
しかし筆者は、「談合」をめぐる問題が指摘される度に、「談合」を単純に「悪」と決めつけることに疑問を感じている。さらに云えば、「談合」を「悪」だと云っている限り、この問題は無くならないとさえ思われる。たぶん筆者がこれから書こうとする問題こそが、この問題がいつまで経っても無くならない問題の根元であるような気がする。
今回の鋼鉄製橋梁工事についても、日経は「違法に利益を上げた」「納税者たる国民に被害を与える犯罪」というが、表向きはあくまで国側の「予定価格」内での話である。落札価格が予定価格の「ほぼ100%」だったとしても、あくまで予定価格の範囲内で工事は適正に行われているのだ。またその「予定価格」というものは、大きい工事であればあるほど、ある程度、前年度の事業予算として議会の承認を得ているものであり、その意味では、「談合」はいけないのかも知れないが、少なくとも日経の云う「違法に利益を上げた」「納税者たる国民に被害を与える犯罪」というのは当たらないのではないか?
そう書けば、当然、次のような批判が起きるだろう。すなわち「談合」のない自由競争になれば“部外業者”も参入でき、落札価格は低下する。事業総額3500億円で、自由競争なら80パーセントぐらいで落札されるものを、「談合」によって95パーセントで落札したとするなら、その上がりは500億円以上となる。それを考えれば、やはり「違法に利益を上げた」「納税者たる国民に被害を与える犯罪」そのものではないか!というものである。
しかし一方で、発注側は単に「安く」橋を架けてくれればいいと言うものではない。やはり、しっかりした「いい橋梁」を作ってもらわなければいけない。「いい橋梁」とは、いうまでもなく「安い」ことではなく「安全」なことである。発注側としては、いくら安く仕上げたことを自慢しても、それが手抜き工事で、事故でも起こせば、批判されるのは結局、発注者側である。とすれば、発注者側は、数多ある建設業者に対してどういう態度を取るだろうか?当然、「うちの工事は、信頼の出来る業者にお願いしたい」ということになろう。まして予算にゆとりがあるなら、その範囲内で一番いいものを作りたいと思うのは当然であろう。
また建設業界にだって技術革新があるだろう。大手ゼネコンなどには技術研究所などがあり、常に新しい工法等を研究している。その結果、より安全な、より長持ちする、そしてより建設コストのかからない工法が日々模索されているはずである。そしてそれらの情報は土木学会などを通して、ある程度は、横の連絡があるのではないだろうか?
それを考えれば、当然、そのような情報に常にアクセスできている「大手」にお願いしたいと思うこともまたやむを得ないところである。
発注者側の立場になって考えてみよう。そもそも橋梁建設計画を立案するに当たっては都市計画などの段階から、建設業者などの関与無しには計画も立たないのが現状であろう。その上で、ここに橋を架けると決まった上で、道路の規模はどうするのか、どういう技術を用いた橋梁にするのがベストなのか、鋼鉄製橋梁とするべきなのかどうか。こういったことはすべて建設業者の関与無くしては決まるまい。当然、予定価格も、いくつかの「信頼できる」業者に見積もりをお願いして、そこではじめて「予定価格」が算出されるのである。大きな事業になればなるほど、「信頼できる」業者とは、シロートでも知っているような会社に限定されてくるだろうし、彼らに工事内容を詳細に説明し(実態は、彼らから工事内容の説明を受け~かもしれないが)、彼らに妥当な「予定価格」を算出してもらうということになろう。当然、それら「信頼できる」数社の営業担当者同士は、相互に情報をやり取りしていても不思議ではあるまい。
こうして算出された「予定価格」とは、いわば発注者側にとって一番信頼に足る、一番工事案件の事情に精通した、一番、頼みたい価格なのであり、下手に「安い」価格で提案されても、発注者側には不安になるだけなのではないだろうか。
こう考えると「談合」は、必ずしも業界団体のためばかりとも言い得ないものだろう。なぜなら、数社から工事見積もりを出してもらう際、あまりに違う金額を提示されても、結局、発注側が予定価格が立てられないことになりかねない。それは、事業計画が立てられないことでもあるし、議会に予算案も提出できまい。結局、困るのは発注者側ということになる。ある程度、「信頼できる」業者間で、技術的な部分などで、共通のコンセンサスを作っておいてもらわないと、安心して「予定価格」も立てられず、当然発注も出来ない。そもそも“部外業者”など、チャンとした技術を持っているのか?~聞いたこともない会社?安い入札価格?~その会社は「手抜き工事」をしますと主張しているようなものではないのか?~
こう考えれば、日経の云う、
国や自治体、公団は、公取委や検察の調べを待つまでもなく、自らの手で工事入札と発注の経緯を洗い直すべきだ。談合に関与はなかったのか、なかったとしても長年にわたり談合を見逃してきた責任をどう考えるのか、国民に向かって十分な説明をする義務がある。
が如何に、現実的でない対応かがわかろうものではないか!(笑)
ではどうすればいいのか。これへの対応策は、実は単純である。すなわち発注者側の国や自治体、公団に、業界の技術者レヴェルの知識を持った、有能な技術スタッフを配置する、これだけである。この有能な技術スタッフが、まず工法、資材等について発注者側で適当なものを指定し、適正な「予定価格」を算出する。発注に際しては、契約書に、必要な技術的レヴェル等を詳細に明記し、充分「安全」を担保できるだけの内容を盛り込んでおく。そして入札は、当然最も安い入札価格を提示した企業に落札する。そのかわり、その会社の工事には、常に検査を行い、状況を把握し、契約不履行といった部分がないか確認する。
この体制がしっかり取れるならば、業界側が例え「談合」などしていようと、そもそも提示される「予定価格」が適正でなものであるために、「違法に利益を上げ」るようなことは起こり得ない。また検査態勢もしっかりしており「手抜き工事」もおこらない~と言うわけである。
ただしこの「業界の技術者レヴェルの知識を持った有能な技術スタッフ」は、一人雇うだけでは意味がない。工事は何も鋼鉄製橋梁だけではない。過去、問題になった下水道工事や水道メーター等の入札・談合問題などについても、発注に際しては、同様の技術者が別に必要になる。またいったん雇ったらそれでいいというものでもない。技術は常に進歩する。彼らを学会に送り、各企業や大学の技術研究所に出向させたり、積極的な研究活動を行わせなければなるまい。国はともかく自治体などにとっては、これはほとんど不可能かも知れない。国にしたって、人件費を考えれば、結局、かえって高くつくかも知れない。
しかし各紙が、今後もこの上記のような「構造」の問題であることに目をつぶり、単に「談合」を批判し続けるなら、国や自治体は、例えいかに人件費がかかっても、こういう対応を取るしかあるまい。そもそも筆者は、このような公共事業発注に限らず、国や自治体の求められている業務のレヴェルは、いまや、これまでのキャリア制度に代表されるようなジェネラリストでは足らず、スペシャリストが求められる段階にあると確信している。どちらにせよ、これからは人件費が多くかかる時代なのだ。
ただし、これについては、現在はかなりいい環境なのである。これは縱不回光さんのブログ「憂国*理工系」の次のページを見て欲しい。
「読売新聞が、また職に就けない博士号取得者の増加を報じていた。昨年7月にも似たような記事が出ていたが 、事態は確実に悪化しているようである。当然のことだ。そもそも文科省は「ポスドク一万人計画」を推進してはいたが、その先に当然あるべき「プロの研究者一万人増強計画」は存在しなかった。博士号取得者だけ増やしたって、その先にプロの研究者としての道が開けてなければ、ポスドク一万人は結局失業するしかない。」
ほ~ら、国及び全国の自治体の皆さん、今こそ「談合」批判に対する根本的な体制見直しのチャンスですよ!
読売社説「橋梁談合事件 『官』とのなれ合いはなかったか」
朝日社説「橋梁談合 ペナルティーが軽すぎる」
毎日社説「鋼鉄製橋梁談合 改正独禁法を再改正しよう」
産経社説「橋梁談合事件 過去の“遺物”徹底解明を」
日経社説「橋梁談合は発注者にも説明責任がある」
年間発注高は3500億円に上り、ほとんどが国・自治体・公団の工事だ。鋼鉄製橋梁(きょうりょう)建設を巡る入札談合は公正取引委員会が過去に刑事告発した価格カルテルや談合と比べて最も大規模、深刻な事件と言える。
日本を代表する大企業が公のカネから違法に利益を上げた疑いを持たれているのだ。告発された企業は通り一遍の談話で済ますのでなく、自ら何をしたのかを説明し再発防止に実効ある対策を講じる必要がある。コンプライアンス(法令順守)の次元を超え、納税者たる国民に被害を与える犯罪の容疑がかけられたことを自覚しなければならない。
公取委が刑事告発したのは、2003、04年度に国土交通省の3つの地方局が発注した工事の入札で談合を取り仕切ったとされる業界組織の幹事社計8社だ。実際の談合は、しかし、40年以上にわたり、国以外に東京都や日本道路公団が発注した工事でも行われていた疑いが強い。公取委と検察当局には徹底した調べを望みたい。
談合組織と公取委が判断した業界の集まりは2つあり計47社が加わる。大手中心の会の前身は戦後間もなく生まれ、中小・後発組の会も40年前にできている。十数年前にその存在が明るみに出て解散した後、再発足している。この業界では、長年おおっぴらに談合が繰り返されてきたと考えられる。
談合組織に入っていない業者が入札に参加すると落札率(発注予定価格と落札額の比率)が途端に低くなるため“部外業者”を排除する工作もしていたとされる。道路公団発注の工事では、年間の平均落札率が、談合の存在をうかがわせる「ほぼ100%」になっていたことがある。そんなことが続いていて、一体、発注側の行政官庁や公団は談合に気づかなかったのだろうか。
昨年秋、新潟市発注の下水道工事にからみ検察は市の職員を入札妨害罪で起訴した。いわゆる官製談合の摘発である。この事件では「官と業」の根深い癒着体質の一端が白日の下に出された。橋梁工事は発注主のほとんどが「官」である事実を踏まえ、検察は発注側に関与はなかったのか、厳しく捜査してもらいたい。
国や自治体、公団は、公取委や検察の調べを待つまでもなく、自らの手で工事入札と発注の経緯を洗い直すべきだ。談合に関与はなかったのか、なかったとしても長年にわたり談合を見逃してきた責任をどう考えるのか、国民に向かって十分な説明をする義務がある。
この「談合」をめぐる問題は、国の発注だけでなく地方自治体、公団などのものを含めて、これまでも度々枚挙に暇がない。そして上記、日経社説では、
日本を代表する大企業が公のカネから違法に利益を上げた疑いを持たれているのだ。告発された企業は通り一遍の談話で済ますのでなく、自ら何をしたのかを説明し再発防止に実効ある対策を講じる必要がある。コンプライアンス(法令順守)の次元を超え、納税者たる国民に被害を与える犯罪の容疑がかけられたことを自覚しなければならない。
と激しく糾弾している。
しかし筆者は、「談合」をめぐる問題が指摘される度に、「談合」を単純に「悪」と決めつけることに疑問を感じている。さらに云えば、「談合」を「悪」だと云っている限り、この問題は無くならないとさえ思われる。たぶん筆者がこれから書こうとする問題こそが、この問題がいつまで経っても無くならない問題の根元であるような気がする。
今回の鋼鉄製橋梁工事についても、日経は「違法に利益を上げた」「納税者たる国民に被害を与える犯罪」というが、表向きはあくまで国側の「予定価格」内での話である。落札価格が予定価格の「ほぼ100%」だったとしても、あくまで予定価格の範囲内で工事は適正に行われているのだ。またその「予定価格」というものは、大きい工事であればあるほど、ある程度、前年度の事業予算として議会の承認を得ているものであり、その意味では、「談合」はいけないのかも知れないが、少なくとも日経の云う「違法に利益を上げた」「納税者たる国民に被害を与える犯罪」というのは当たらないのではないか?
そう書けば、当然、次のような批判が起きるだろう。すなわち「談合」のない自由競争になれば“部外業者”も参入でき、落札価格は低下する。事業総額3500億円で、自由競争なら80パーセントぐらいで落札されるものを、「談合」によって95パーセントで落札したとするなら、その上がりは500億円以上となる。それを考えれば、やはり「違法に利益を上げた」「納税者たる国民に被害を与える犯罪」そのものではないか!というものである。
しかし一方で、発注側は単に「安く」橋を架けてくれればいいと言うものではない。やはり、しっかりした「いい橋梁」を作ってもらわなければいけない。「いい橋梁」とは、いうまでもなく「安い」ことではなく「安全」なことである。発注側としては、いくら安く仕上げたことを自慢しても、それが手抜き工事で、事故でも起こせば、批判されるのは結局、発注者側である。とすれば、発注者側は、数多ある建設業者に対してどういう態度を取るだろうか?当然、「うちの工事は、信頼の出来る業者にお願いしたい」ということになろう。まして予算にゆとりがあるなら、その範囲内で一番いいものを作りたいと思うのは当然であろう。
また建設業界にだって技術革新があるだろう。大手ゼネコンなどには技術研究所などがあり、常に新しい工法等を研究している。その結果、より安全な、より長持ちする、そしてより建設コストのかからない工法が日々模索されているはずである。そしてそれらの情報は土木学会などを通して、ある程度は、横の連絡があるのではないだろうか?
それを考えれば、当然、そのような情報に常にアクセスできている「大手」にお願いしたいと思うこともまたやむを得ないところである。
発注者側の立場になって考えてみよう。そもそも橋梁建設計画を立案するに当たっては都市計画などの段階から、建設業者などの関与無しには計画も立たないのが現状であろう。その上で、ここに橋を架けると決まった上で、道路の規模はどうするのか、どういう技術を用いた橋梁にするのがベストなのか、鋼鉄製橋梁とするべきなのかどうか。こういったことはすべて建設業者の関与無くしては決まるまい。当然、予定価格も、いくつかの「信頼できる」業者に見積もりをお願いして、そこではじめて「予定価格」が算出されるのである。大きな事業になればなるほど、「信頼できる」業者とは、シロートでも知っているような会社に限定されてくるだろうし、彼らに工事内容を詳細に説明し(実態は、彼らから工事内容の説明を受け~かもしれないが)、彼らに妥当な「予定価格」を算出してもらうということになろう。当然、それら「信頼できる」数社の営業担当者同士は、相互に情報をやり取りしていても不思議ではあるまい。
こうして算出された「予定価格」とは、いわば発注者側にとって一番信頼に足る、一番工事案件の事情に精通した、一番、頼みたい価格なのであり、下手に「安い」価格で提案されても、発注者側には不安になるだけなのではないだろうか。
こう考えると「談合」は、必ずしも業界団体のためばかりとも言い得ないものだろう。なぜなら、数社から工事見積もりを出してもらう際、あまりに違う金額を提示されても、結局、発注側が予定価格が立てられないことになりかねない。それは、事業計画が立てられないことでもあるし、議会に予算案も提出できまい。結局、困るのは発注者側ということになる。ある程度、「信頼できる」業者間で、技術的な部分などで、共通のコンセンサスを作っておいてもらわないと、安心して「予定価格」も立てられず、当然発注も出来ない。そもそも“部外業者”など、チャンとした技術を持っているのか?~聞いたこともない会社?安い入札価格?~その会社は「手抜き工事」をしますと主張しているようなものではないのか?~
こう考えれば、日経の云う、
国や自治体、公団は、公取委や検察の調べを待つまでもなく、自らの手で工事入札と発注の経緯を洗い直すべきだ。談合に関与はなかったのか、なかったとしても長年にわたり談合を見逃してきた責任をどう考えるのか、国民に向かって十分な説明をする義務がある。
が如何に、現実的でない対応かがわかろうものではないか!(笑)
ではどうすればいいのか。これへの対応策は、実は単純である。すなわち発注者側の国や自治体、公団に、業界の技術者レヴェルの知識を持った、有能な技術スタッフを配置する、これだけである。この有能な技術スタッフが、まず工法、資材等について発注者側で適当なものを指定し、適正な「予定価格」を算出する。発注に際しては、契約書に、必要な技術的レヴェル等を詳細に明記し、充分「安全」を担保できるだけの内容を盛り込んでおく。そして入札は、当然最も安い入札価格を提示した企業に落札する。そのかわり、その会社の工事には、常に検査を行い、状況を把握し、契約不履行といった部分がないか確認する。
この体制がしっかり取れるならば、業界側が例え「談合」などしていようと、そもそも提示される「予定価格」が適正でなものであるために、「違法に利益を上げ」るようなことは起こり得ない。また検査態勢もしっかりしており「手抜き工事」もおこらない~と言うわけである。
ただしこの「業界の技術者レヴェルの知識を持った有能な技術スタッフ」は、一人雇うだけでは意味がない。工事は何も鋼鉄製橋梁だけではない。過去、問題になった下水道工事や水道メーター等の入札・談合問題などについても、発注に際しては、同様の技術者が別に必要になる。またいったん雇ったらそれでいいというものでもない。技術は常に進歩する。彼らを学会に送り、各企業や大学の技術研究所に出向させたり、積極的な研究活動を行わせなければなるまい。国はともかく自治体などにとっては、これはほとんど不可能かも知れない。国にしたって、人件費を考えれば、結局、かえって高くつくかも知れない。
しかし各紙が、今後もこの上記のような「構造」の問題であることに目をつぶり、単に「談合」を批判し続けるなら、国や自治体は、例えいかに人件費がかかっても、こういう対応を取るしかあるまい。そもそも筆者は、このような公共事業発注に限らず、国や自治体の求められている業務のレヴェルは、いまや、これまでのキャリア制度に代表されるようなジェネラリストでは足らず、スペシャリストが求められる段階にあると確信している。どちらにせよ、これからは人件費が多くかかる時代なのだ。
ただし、これについては、現在はかなりいい環境なのである。これは縱不回光さんのブログ「憂国*理工系」の次のページを見て欲しい。
「読売新聞が、また職に就けない博士号取得者の増加を報じていた。昨年7月にも似たような記事が出ていたが 、事態は確実に悪化しているようである。当然のことだ。そもそも文科省は「ポスドク一万人計画」を推進してはいたが、その先に当然あるべき「プロの研究者一万人増強計画」は存在しなかった。博士号取得者だけ増やしたって、その先にプロの研究者としての道が開けてなければ、ポスドク一万人は結局失業するしかない。」
ほ~ら、国及び全国の自治体の皆さん、今こそ「談合」批判に対する根本的な体制見直しのチャンスですよ!
by mt.planter
| 2005-05-24 13:15