2005年 04月 21日
「少子化問題」と中絶 附「毎日新聞」の社説? |
「毎日新聞」がさらに「少子化問題」に関する「社説」を掲げている。3日連続となる。
毎日社説「少子化 看過できぬ中絶32万件」
またもや論説委員・三木賢治の署名原稿である。もうわかった!毎日新聞社というところにおいては、論説委員というエライ先生が書いた記事は自動的に「社説」となると言うことだろう。では「論説委員」とは社内でどれほどエライのか?毎日新聞社の会社概要、その組織図を見ると(参照・毎日新聞社の組織)、論説室というものがある。紙面審査委員会、「開かれた新聞」委員会、と並んで宙に浮いたような位置にある。これが毎日の「言論」の自由なのか?
この際、ついでに読売新聞社と朝日新聞社の会社概要も見てみたのだが、朝日は、ホームページ上(参照・朝日新聞社のご紹介)で見る限り、「論説委員室」は編集局の中にある。読売は、論説委員などはどこに位置づけられるのか、ホームページ上では明らかではない。ただし編集局の中に解説部というものがあり、これが論説室にあたるのではないかと思われる(参照・読売新聞・編集局)。すなわち朝日において論説委員室は、あくまで編集局長の下であり、また読売においては、論説委員は編集局解説部に属するとすれば、このホームページ上から見る限りにおいては、編集局長の下であるばかりか、新聞紙面作りの最終的段階では「編制センター」に編集権を握られているといっていいのではなかろうか。毎日新聞社においては、どうもこの論説委員の位置づけが、論説委員にとって社説欄を私物化できる根拠なのかも知れない。
筆者は、もう少子化問題には飽きてきているのだが、乗りかかった船であるし、一応、これも紹介しておこう。
厚生労働省の統計によると、03年度の人工妊娠中絶手術は31万9831件を数えた。出生者数の3分の1弱に相当し、実数は倍以上に上るとの声もある。表に出た数字でも県庁所在都市の人口に匹敵する命が、消えている現実は看過できない。大幅削減できれば、少子化問題も一気に解決する。
中絶には母体の健康を守るためなど苦渋の決断として行われるものが多い。だが、一方では本来は違法なものが相当数含まれていることも、周知されているところだろう。やむにやまれぬ事情があったにせよ、女性が子どもを喜んで出産できない環境があるとは、やりきれないことだ。救える命は、対策の限りを尽くして救わねばならない。
多子家庭への育児・教育資金などの公的援助を手厚くすることも効果的だろうが、抜本的には人々の結婚観、子ども観を変えることが必要不可欠だ。たとえば、シングルマザーを異端視しない風潮が広がれば、子を産みたい女性は確実に増えるだろう。非嫡出子や養子に対する法律上、戸籍上の差別をなくすことでも同様だ。
子どもが真に大事にされてきたか、を問い直す必要も痛感する。明治から終戦直後まで、「もらい子殺し」という養育費目当ての犯罪が各地で繰り返された歴史などが気がかりだからだ。1948年に東京・新宿で1年間に赤ちゃん112人を引き取り、85人を消化不良や栄養失調で死なせた産院経営者が摘発されたのが一例だ。
多くの子どもが親に育ててもらえなかっただけでなく、引き取られた後、冷たい仕打ちを受けることを承知で子どもを手放す親が多数いたかと思うと、背筋が寒くなる。悪弊は断ち切られてはいない。最近の中絶にも通底する非情さが潜んでいるのではないか。
子どもは親の所有物とする発想が根強いことも大きな問題だ。諸外国と比べ母親によるえい児殺しが異常に多いことも、その表れだ。無理心中に子どもが巻き込まれるケースも目立つ。世間も「子どもだけ残されるのはかわいそう」と考えがちだ。そのせいか、一般に自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い。
最近は忘れられがちだが、「子は授かりもの」という認識を新たにしたい。子は作るもの、と考えると、どうしても子どもは軽んじられてしまう。子を親の所有物ではなく、独立した人格として尊重する気風が確立されれば、中絶も現在より一段と選びにくくなるだろう。当たり前のように行われている男女の産み分け術にしても、親のエゴイズムと結びついていることを自覚したい。
子どもが大事にされない社会では、女性が安心して出産できなくて当たり前だ。少子化を憂うより先に、子どもの人権の確立に力を入れるべきではないか。(論説委員・三木賢治)
で、読後の正直な感想。「目から鱗」であった。正直なところ人工中絶が問題だ、ということは感じていないでもなかった。しかし、まずその比率は、「少子化問題」の影響を与えるほどのものではないと考えていたし、さらに余りそんなことを言うと「お前はブッシュか!」と言われてしまいそうで…。アメリカのキリスト教的価値観に基づく人工中絶反対論には、特に違和感を感じている筆者としては、とても思いもよらなかった。
「厚生労働省の統計によると、03年度の人工妊娠中絶手術は31万9831件を数えた。出生者数の3分の1弱に相当し、実数は倍以上に上るとの声もある。」
~これには驚いた。「出生者数の3分の1弱」ということは、もし中絶がなくなったら、出生者数は現状の1.3倍見当にもなるのか?実際に、厚生労働省のホームページによれば、2002年度の出生数は115万3866人(参照・平成15年版 厚生労働白書より/「出生数」で検索してみて下さい)。なるほど、32万弱という数字は半端じゃない!
まずは、その原因を明確に確認しておく必要があろう。筆者は、「中絶には母体の健康を守るためなど苦渋の決断として行われるものが多い。」といった「中絶」には異議を唱える気持ちはない。それが、「アメリカのキリスト教的価値観に基づく人工中絶反対論には、特に違和感を感じている」と記した理由である。ただし「本来は違法なものが相当数含まれている」ということには、この際、不法な産婦人科医師?に対してはっきり異議を唱えておきたい。
その原因について、三木論説委員は、日本には明治以来?、子どもを大事にしてこない文化があると主張したいらしい。「諸外国と比べ母親によるえい児殺しが異常に多いことも、その表れだ」等といわれると、そうなのかも知れない。「子どもは親の所有物とする発想が根強い」~~そうなのか?
「無理心中に子どもが巻き込まれるケースも目立つ。世間も「子どもだけ残されるのはかわいそう」と考えがちだ。そのせいか、一般に自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い。」
結局、原因は日本人の子供に対する意識なのか?とすれば、その解決策は日本人の意識変革しかないのか?
「シングルマザーを異端視しない風潮が広がれば、子を産みたい女性は確実に増えるだろう。非嫡出子や養子に対する法律上、戸籍上の差別をなくすことでも同様だ。」
「「子は授かりもの」という認識を新たにしたい。」
どうも遠回りだなあ~。まずは出来るところから。不法な産婦人科医の徹底排除。そして、「自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い」といった判決を排していくこと。こんなところからかなあ~。
毎日社説「少子化 看過できぬ中絶32万件」
またもや論説委員・三木賢治の署名原稿である。もうわかった!毎日新聞社というところにおいては、論説委員というエライ先生が書いた記事は自動的に「社説」となると言うことだろう。では「論説委員」とは社内でどれほどエライのか?毎日新聞社の会社概要、その組織図を見ると(参照・毎日新聞社の組織)、論説室というものがある。紙面審査委員会、「開かれた新聞」委員会、と並んで宙に浮いたような位置にある。これが毎日の「言論」の自由なのか?
この際、ついでに読売新聞社と朝日新聞社の会社概要も見てみたのだが、朝日は、ホームページ上(参照・朝日新聞社のご紹介)で見る限り、「論説委員室」は編集局の中にある。読売は、論説委員などはどこに位置づけられるのか、ホームページ上では明らかではない。ただし編集局の中に解説部というものがあり、これが論説室にあたるのではないかと思われる(参照・読売新聞・編集局)。すなわち朝日において論説委員室は、あくまで編集局長の下であり、また読売においては、論説委員は編集局解説部に属するとすれば、このホームページ上から見る限りにおいては、編集局長の下であるばかりか、新聞紙面作りの最終的段階では「編制センター」に編集権を握られているといっていいのではなかろうか。毎日新聞社においては、どうもこの論説委員の位置づけが、論説委員にとって社説欄を私物化できる根拠なのかも知れない。
筆者は、もう少子化問題には飽きてきているのだが、乗りかかった船であるし、一応、これも紹介しておこう。
厚生労働省の統計によると、03年度の人工妊娠中絶手術は31万9831件を数えた。出生者数の3分の1弱に相当し、実数は倍以上に上るとの声もある。表に出た数字でも県庁所在都市の人口に匹敵する命が、消えている現実は看過できない。大幅削減できれば、少子化問題も一気に解決する。
中絶には母体の健康を守るためなど苦渋の決断として行われるものが多い。だが、一方では本来は違法なものが相当数含まれていることも、周知されているところだろう。やむにやまれぬ事情があったにせよ、女性が子どもを喜んで出産できない環境があるとは、やりきれないことだ。救える命は、対策の限りを尽くして救わねばならない。
多子家庭への育児・教育資金などの公的援助を手厚くすることも効果的だろうが、抜本的には人々の結婚観、子ども観を変えることが必要不可欠だ。たとえば、シングルマザーを異端視しない風潮が広がれば、子を産みたい女性は確実に増えるだろう。非嫡出子や養子に対する法律上、戸籍上の差別をなくすことでも同様だ。
子どもが真に大事にされてきたか、を問い直す必要も痛感する。明治から終戦直後まで、「もらい子殺し」という養育費目当ての犯罪が各地で繰り返された歴史などが気がかりだからだ。1948年に東京・新宿で1年間に赤ちゃん112人を引き取り、85人を消化不良や栄養失調で死なせた産院経営者が摘発されたのが一例だ。
多くの子どもが親に育ててもらえなかっただけでなく、引き取られた後、冷たい仕打ちを受けることを承知で子どもを手放す親が多数いたかと思うと、背筋が寒くなる。悪弊は断ち切られてはいない。最近の中絶にも通底する非情さが潜んでいるのではないか。
子どもは親の所有物とする発想が根強いことも大きな問題だ。諸外国と比べ母親によるえい児殺しが異常に多いことも、その表れだ。無理心中に子どもが巻き込まれるケースも目立つ。世間も「子どもだけ残されるのはかわいそう」と考えがちだ。そのせいか、一般に自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い。
最近は忘れられがちだが、「子は授かりもの」という認識を新たにしたい。子は作るもの、と考えると、どうしても子どもは軽んじられてしまう。子を親の所有物ではなく、独立した人格として尊重する気風が確立されれば、中絶も現在より一段と選びにくくなるだろう。当たり前のように行われている男女の産み分け術にしても、親のエゴイズムと結びついていることを自覚したい。
子どもが大事にされない社会では、女性が安心して出産できなくて当たり前だ。少子化を憂うより先に、子どもの人権の確立に力を入れるべきではないか。(論説委員・三木賢治)
で、読後の正直な感想。「目から鱗」であった。正直なところ人工中絶が問題だ、ということは感じていないでもなかった。しかし、まずその比率は、「少子化問題」の影響を与えるほどのものではないと考えていたし、さらに余りそんなことを言うと「お前はブッシュか!」と言われてしまいそうで…。アメリカのキリスト教的価値観に基づく人工中絶反対論には、特に違和感を感じている筆者としては、とても思いもよらなかった。
「厚生労働省の統計によると、03年度の人工妊娠中絶手術は31万9831件を数えた。出生者数の3分の1弱に相当し、実数は倍以上に上るとの声もある。」
~これには驚いた。「出生者数の3分の1弱」ということは、もし中絶がなくなったら、出生者数は現状の1.3倍見当にもなるのか?実際に、厚生労働省のホームページによれば、2002年度の出生数は115万3866人(参照・平成15年版 厚生労働白書より/「出生数」で検索してみて下さい)。なるほど、32万弱という数字は半端じゃない!
まずは、その原因を明確に確認しておく必要があろう。筆者は、「中絶には母体の健康を守るためなど苦渋の決断として行われるものが多い。」といった「中絶」には異議を唱える気持ちはない。それが、「アメリカのキリスト教的価値観に基づく人工中絶反対論には、特に違和感を感じている」と記した理由である。ただし「本来は違法なものが相当数含まれている」ということには、この際、不法な産婦人科医師?に対してはっきり異議を唱えておきたい。
その原因について、三木論説委員は、日本には明治以来?、子どもを大事にしてこない文化があると主張したいらしい。「諸外国と比べ母親によるえい児殺しが異常に多いことも、その表れだ」等といわれると、そうなのかも知れない。「子どもは親の所有物とする発想が根強い」~~そうなのか?
「無理心中に子どもが巻き込まれるケースも目立つ。世間も「子どもだけ残されるのはかわいそう」と考えがちだ。そのせいか、一般に自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い。」
結局、原因は日本人の子供に対する意識なのか?とすれば、その解決策は日本人の意識変革しかないのか?
「シングルマザーを異端視しない風潮が広がれば、子を産みたい女性は確実に増えるだろう。非嫡出子や養子に対する法律上、戸籍上の差別をなくすことでも同様だ。」
「「子は授かりもの」という認識を新たにしたい。」
どうも遠回りだなあ~。まずは出来るところから。不法な産婦人科医の徹底排除。そして、「自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い」といった判決を排していくこと。こんなところからかなあ~。
by mt.planter
| 2005-04-21 10:50